50音順

あ~さ行


た~は行


ま~わ行



Twitter利用芸能人一覧


関連リンク

  • 漫画ワンピースの名言
  • ドラえもんの名言
  • スタジオジブリ作品の名言
  • 漫画ジョジョの奇妙な冒険の名言

  • 浜田雅功(お笑い芸人、アーティスト)

    お笑い芸人、アーティストである浜田雅功のテレビ、雑誌等での名言や迷言をまとめました。

    浜田雅功プロフィール
    本名:濵田雅功
    生年月日:1963年5月11日 身長:165cm 血液型:A型
    職業:お笑い芸人、アーティスト
    コンビ名:ダウンタウン
    グループ名:H Jungle with t
    所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

    関連商品
         

    浜田雅功オフィシャルサイト:H-Dream.Com

    相方を信頼する、浜田雅功の名言・迷言

    「松本と別れることがあったら、俺はお笑いはしない。 最高の笑いを見続けて来たから、他の笑いなんてできないでしょ」

    「オレは他の誰にも負けへんくらい、松本のファンなんかもしれん」

    「(ダウンタウンが解散しても)
    多分松本は、この仕事をやってるやろと思う。
    やってなおかしい。あいつはすごいもん。
    勝たれへんもん。誰もあいつには

    「ホンマ、ひとりの時間というのは、 唯一家から仕事に行く車の移動のときくらいだけ、 何かホッと息を抜ける唯一の場所が車だけになってもうた… 何か寂しい気もするけどサラリーマンでも何でもそんなもんなんでしょうねぇ」

    「ツッコミって、長い言葉でいれると間が外れるし、 短すぎると意味ないし、ちょうどええ言葉の数とタイミングでスパンスパンと入れるからボケが際立つ」

    番外編:芸人から浜ちゃんへのメッセージ

    月亭方正(山崎邦正)
    「浜田さんへ
    50歳の誕生日、おめでとうございます。
    あれはいつのことでしょうか。それは、12年前です。
    僕が、あやと結婚した時のことです。
    その日は、東京のとある場所で開催した、僕とあやの結婚披露宴。 出席人数150人ほどの結パーティーだったのですが、そこに浜田さんが来てくださいました。 そして、『これ』と、一言だけ言ってご祝儀を渡してくれました。

    パーティーは終始、笑いあり、涙ありでとてもいい雰囲気で、 僕は本当に嬉しくて、浜田さんにお礼を言いたかったのですが、言えずに終わっていました。
    そしてその夜、パーティーが終わったあと、 僕とあやは連日の実務から大げんかをしてしまったのです。
    そして最悪の雰囲気の中、ご祝儀返しの段取りもあるので、 皆さんにいただいたご祝儀の整理を始めたのです

    そこで、始めて浜田さんにいただいたご祝儀の中を見たんです。 僕は、浜田さんだからどれくらい大金が入っているのかな、と中を見ると、 入っていたのは、500円のおもちゃ券でした。
    僕は思わず、『なんやコレ』と吹き出してしまいました。 そして、それを見たあやも、思わず吹き出し、僕達二人は笑いに包まれ、すっかり仲直りができたのです。

    僕はこの時、思いました。
    浜田さんは、ドS、ドSと言われているけど、
    そのSは、サドのSではなく、素敵なSなんやなぁ、と。
    そして次の収録現場で浜田さんにお礼を言おうと楽屋に行くと、
    『山ちゃん、これ』
    と、改めてご祝儀をいただきました。なんて素敵な方なんでしょう。
    浜田さん、改めて言わせてください。
    ありがとうございます。
    実は、その時のおもちゃ券、山崎家の宝物として、今でも持っています。これからもずっと素敵な人でいてください」

    ココリコ/遠藤章造
    「浜田さんへ
    僕がガキの使いの前説をやらせていただけるようになったのは、今から16年前です。 しかし、その裏では、芸人として本気で悩んでいた時期でもありました。
    当時ココリコというコンビは、同期の芸人に比べ、なんの特徴もない悪い意味での優等生タイプで、 前に出ることもできない状況が続いていました。
    そこで僕は、悩みに悩んだあげく、 自分とは天と地ほども差がある浜田さんに勇気を振り絞って相談を持ちかけていたのです。
    すると浜田さんは前説をやっていた若造の僕のために、 わざわざ西麻布の高級店の個室を予約してくださり、一対一で僕の相談に乗ってくれました。
    そして浜田さんは、僕の相談が分かっていたかのように、
    アッサリと一言だけ、
    『オレをどついたらエエやん』 と言ってくれたのです。
    それは当時の若手で、浜田さんをツッコめる人間など居るはずもなく、
    それをすれば一気に『ココリコ遠藤』
    という名に注目が集まるだろうという意味が込められた意図でした。
    実際に、浜田さんにツッコむことなど、今もできませんが、 当時、浜田さんが自分のことをそこまで考えてくれていたのだと知り、 この人が居れば、安心して芸人が続けられると思ったことを、今でもはっきりと覚えています。
    さらに数日後、他の番組の収録で、僕のことを『章造』と呼んでくださり、 僕と浜田さんの関係を、スタッフの方々や、他の演者さんに、印象づけてくれました。
    あと僕が離婚し、芸人としてのイメージが悪くなるのではないか、 と一人で悩んでいた時も、浜田さんは何かを察したかのように、僕を食事に誘ってくれ、
    『今回の離婚は、男として、すべての責任を背負え。絶対にテレビで、言い訳じみたことを言うな。それでもどうしても何かを言いたいことがあったら、俺だけに言え』
    と言ってくれました。
    さらに番組内でも、浜田さんと松本さんは、離婚のことを笑いに変えてくれ、 年末の特番では、共演できるほどになりました。本当に、浜田さんには心から感謝しております。
    僕が芸人になってから今まで、浜田さんという大きな船に、何度も助けられてきました。 これからもまた、アホな僕は、いろいろと相談することもあるとおもいます。 でも、懲りずに相談に乗って下さい。 そして、10年後、浜田さんが還暦を迎える頃には、頑張って、ココリコという名の船を少しでも大きくしておきますので、 その時には、たまには僕らの船に乗って、のんびりしてください」

    ココリコ/田中直樹
    「浜田さんへ
    僕達ココリコが、ガキの使いの前説をやらせていただいたのは、今から16年前、25歳の時でした。 それから今日に至るまで、ずっとお世話になっております。
    浜田さん、覚えてますか?前説を初めて間もない頃、
    浜田さんは僕に
    『なんやお前?靴、ボロボロやないか』
    と言いました。
    当時僕は、ドクターマーチンの黒い靴が大好きで、いつもその靴を履いていたのですが、 靴底も限界まで磨り減り、誰の目から見ても、もうボロボロの状態でした。
    しかし当時の僕は生活するのもやっとで、 会社にも借金を作り、新しい靴を買う余裕など、全くありませんでした。
    そして、次の収録の時も、浜田さんは
    『またその靴履いてんのか?新しい靴買えよ』
    と、冗談混じりに言いました。
    そして、僕が『そうなんですよ。すみません』と答えると、
    『これで新しい靴、買え!』
    と、2万円を差し出しました。
    『いえ…いえ。そんな、とんでもないです』と断っても、
    『いいから、買え、買え』と、
    僕にお金を渡し、その場を立ち去りました。
    翌日、僕はすぐ新しいドクターマーチンの同じ靴を買い、
    次の収録の時、真っ先に浜田さんにその靴を見せ、
    『ありがとうございました。新しい靴を買わせていただきました』
    と言い、お釣りの8千円を渡そうとすると、
    『いらんいらん。それでなんか、美味いもん食え』
    といって、お釣りも受け取ってくれませんでした。
    僕は、浜田さんに靴を買っていただいたのが、
    嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。
    それから、その靴をいつもいつも履いていました。
    再びずっとそれを履き続け、雨でビショビショになっても、
    別の番組でドッキリで海に落ちて、革がカチカチになっても、
    毎日、毎日その靴を履いていました。
    そして、その頃から少しずつではありますが、 仕事も増え、会社にも借金を返せて、なんとか生活できるようになってきました。
    浜田さんに買っていただいた靴に、なにか力をいただいているような気がして、 あの靴を履いていると、何か心強く感じていたのを覚えています。 自分自身、番組の中でうまく立ち振る舞えず、 反省し、悩むこともたくさんあるのですが、松本さん、そして浜田さんがいてくれるからこそ、 他の番組には見せれない、新しい自分を思い切って出せるのだと思います。
    自分が、16年前に入ったときから、この番組に出させていただいていることに、今、改めて感謝をしております。 そしてこれから少しでも、浜田さんとご一緒できるよう、頑張っていきます。これからもよろしくお願いします」






    有名人・芸能人 名言(迷言)まとめサイト|TOPへ

    inserted by FC2 system